link
 top > ギャラリー > No.10
さくら美術研究所 電話:(0774)64-6786 FAX:(0774)64-6787
gallery
   No.10 2008/04/03 芸術の都へ

2007年8月7日夕刻

懐かしい街ヴェネツィアに別れを告げ、ツアーバスは一路フィレンツェへ・・・



ヴェネツィア〜フィレンツェは直線距離にして約200キロ。
高速道路にて市街地をしばらく走り、次第に山を登り始める。
それほど標高が高くない山々を縫うように右へ左へとカーブが続く。
トンネルを抜けると山々の間から小さな町をいくつも見つける事ができた。
一日あれば、歩いて一周できる程の本当に小さな町ばかりだ。
レンガ色の屋根が連なる町の向こうにある丘陵地には田園(葡萄畑だろうか?)が広がり、
小さな湖にはくっきりと綺麗に空の青さが映っている。
まるで幻想的な物語の舞台になりそうな町である。
今回参加したツアー等では一切立ち寄る事のない、何も無い町(村?)なのだろうが、
もしも直にこの目で見る事ができれば、そういったなんにもない風景にこそ、
不思議と染み渡る様な感動があるような気がする。
バスの中は皆さんお疲れのご様子で、ほとんどの方が
眠られていたのではないでしょうか?
まぁ、起きて見ていてもたいした風景ではなかったのですが、
考え方によっては、石ころが宝石に見える
事もあるのだと再認識させられる車窓よりの風景でした。





さて、夕日が地平線に沈む頃に
バスはフィレンツェの町を一望できるミケランジェロ広場へと到着。
駐車場のど真ん中に立つダビデ像(ミケランジェロ作・レプリカ)
のバックから斜めに傾いた夕日を浴びながら、テクテクと歩いて眺望台へ・・・



ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと言った天才達が
溢れる才能を発揮したこのフィレンツェにルネサンスの花が開いたのは15世紀の頃。
当時のフィレンツェの人々はヨーロッパの中でもかなり豊かで、
美しいモノには特に目が無かったと聞きます。
また、莫大な財により、数々の美術品を収集し、政治、経済までをも掌握したメディチ家。
その栄枯盛衰のドラマの舞台もこの街である。
華やかで歴史深い芸術都市フィレンツェとは、いったいどんな街なのであろうか・・・?



眺望台からの眺めは格別で、斜陽に照らされたそれは、まるで
ルネサンス絵画のディテールもしくは背景を見るかのように、
「現代」と言う言葉にはまったく無縁の様相である。
また、起伏の無い、だだっ広い平坦な地面に張り付く様に
レンガ色の屋根が無数に並び、それが地平線に向って永遠に続いている。

まるでレンガ色の穏やかな水面に浮かぶ大きな帆船のように
ヴェッキオ宮とサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が
ひときわ高さのある塔を天に突きつける。
その光景は当時の人々のみならず、現代人に対しても
強大な権力を誇示しようとする姿に思えてしまう。
600年以上前からあの高い塔はあそこにあり、人々を圧倒し続けてきた。
高い塔を見慣れている我々ですら威圧感を感じるのだから
当時の人々はさぞ驚きと恐れを持って、あれを見つめた事だろう。

その塔を真横から見る事ができるこの丘に登った時
彼らはいったい何を思ったのであろうか?



ともあれ、明日からの二日間このフィレンツェに滞在し
スケジュールには大聖堂(外部)見学やウフィッツィ美術館(内部)見学
が予定されているので、非常に楽しみである。


 
 
Copyright (C)sakura-ART Institute. All Rights Reserved.